伝道掲示板について
明覚寺の駐車場の隅に伝道掲示板があります。浄土真宗のみ教えを深く味わい、お念仏を喜ばれ、お念仏をよりどころとして生き抜かれた、また、お念仏中心の生活を、今送られている方々のお言葉をご紹介しています。
2023.11月の伝道掲示板
念仏というものは われわれ一人一人が育っていく道です。
念仏をとおして 人間として育てられていくのです。
信楽 峻麿

これまでの伝道掲示板
- 2023.10月 自分の経験や 自分の分別に
腰をかければ、人は魔になり 鬼になる
宗正元 - 2023.9月 迷いの心を 迷いと見ずに、
その迷いの心を中心に物事を見ていくところに
苦しみがある。
- 2023.8月 亡き人を供養することは
生者自身の生き方を問う道です
池田 勇諦 - 2023.7月 生きとしいけるもの ときにいさかいながらも
無辺の いのちの海に生かされており この私も
榎本 栄一
- 2023.6月 天気の良い日が喜べるのは 雨の日があるからでした
浅田 正作 - 2023.5月 他人の悪口はうそでも面白いが、自分の悪口は本当でも腹が立つ。
- 2023.4月 今生きているということは、死を生きていること。
明日も生きるというとは、明日は死ぬかもしれないということです。
つまり、そういう死の生命を今日も生かされているということです。
信楽 峻麿 - 2023.3月 自分で生きているんじゃない
人間を超えた大きな
大きなお蔭さまで生かされている私。
河村 とし子 - 2023.2月 なりたい自分になれなくても
なっとる自分を生きればいい - 2023.1月 満足は探すものでなくて、来るものです。
今、満足する道を、今、知らねばならぬ。
西村 見暁
- 2022.12月 一切は
縁において生まれ
縁においてあり
縁において去っていく
宮城 顗 - 2022.11月 自分で生きているんじゃなかった。
人間を超えた大きな大きなお蔭さまで
生かされている私だった。
河村 とし子 - 2022.10月 死を忘れるとき、生活は浮く。
死に怯えるとき、生活は沈む。
死をみつめるとき、生活は輝く。 - 2022.9月 ただ念佛、これのみが
生死を超ゆる唯一道である。
松原 致遠 - 2022.8月 憶わぬさきから 憶われていた私
拝まない者も おがまれている
拝まないときも おがまれている
すみません 南無阿弥陀仏。
東井 義雄 - 2022.7月 ご縁 ご縁 みなご縁
困ったこともみなご縁
南無阿弥陀仏に遇うご縁
木村 無相 - 2022.6月 わからないから信じるのではない。
私の心の底の底で、「ああそうだったか」としみじみわからせてもらう、
眼をひらかせてもらうのを信心という。
信楽 峻麿 - 2022.5月 阿弥陀とは、まさに自力の真逆、
「量らず」、「評価せず」、「断定しない」
という光の智慧そのものである
高柳 正裕 - 2022.4月 人に生まるるは難く、いま生命あるは有難く、
世に仏あるは難く、仏の教えを聞くは有難し。
釈尊 - 2022.3月 深い悲しみ 苦しみを通してのみ
見えてくる世界がある
平野 恵子 - 2022.2月 み仏をよぶ わが声は
み仏のわれをよびます み声なりけり
甲斐 和里子 - 2022.1月 私の信心 雪だるま お天とさま出りゃ すぐとける
お天とさまが御信心
木村 無相 - 2021.12月 称える南無阿弥陀仏には誰が称えようと少しの変わりもないのだが、
南無阿弥陀仏のおいわれを知らねば、はたらきをなさん。
称えるその上でおいわれを聞かしてもらうことが大切です。
前田 政直 - 2021.11月 人間に一番見えないものは、自分の内面とご恩である。
- 2021.9月 泥のなかから蓮が咲く。それをするのは蓮ぢゃない。
卵のなかから鶏が出る。それをするのは鶏ぢゃない。
それに私は気がついた。それも私のせいぢゃない。
金子 みすゞ - 2021.8月 目にみえぬ慈悲がことばにあらわれて
南無阿弥陀仏と声でしられる
浅原 才市 - 2021.7月 死ぬ時にたよりになるもの
その時に持っていける宝は
たった一つ、お念佛だけです
信楽 峻麿 - 2021.6月 信心というのは凡夫が 仏さまと同じ命を
共有するという出来事
大峯 顕 - 2021.5月 このままの私こそ仏さまのご本願のお目あてであった
東井 義雄 - 2021.4月 青い空も月も星も花も
みんなみんな 仏さまのお恵み
東井 義雄